19世紀中期、時計をただ単に時を知らせるためだけの道具ということに飽きた職人気質のゲルマン人は、時計の内外全てに芸術という美学を求め、マイスターによる最高の技術で最高品質の時計を作り上げました。
それが今日、"Vienna Clock"(ヴィエナクロック、ウィーン時計)と総称される最高品質の時計として、世界中の熱心な時計愛好者を魅了したのです。
「ヴィエナクロックの王様」と謳われるGustav Becker(グスタフ・ベッカー社)や、女王の風格を持つLenzkirch(レンツキルヒ社)など、特に有名な工房の初期品(1850~1880年代)は、王侯貴族や権力者のみのために作られるという特注品でした。 ある程度、規格化された民生モデル(レギュレータークロック)が出回るようになったのは、19世紀後期からのことです。

「奥行きのある心地よい振動は、まるで大海原を泳ぐクジラの鼓動のよう・・」

ヴィエンナクロックの取り扱いは、A&Oオーナーの春日が1993年に時計技師(BHI認定 英国立時計技師)のキャリアをスタートした時からで、かれこれ20年以上になり、日本でも唯一の専門店と自負しております。
 
時計は、時を知らせ歴史を刻む文明の結晶であり、人類の過去を刻み未来を紡ぎ続けます。A&Oでは、ドイツ・オーストリア圏(ザクセン王国、プロイセン王国)で、一流のマイスター達によって作られたヴィエナクロックを取り扱いしています。1世紀半前から時を刻み続けてきた秀逸な時計たちは、弊社の完全な修理メンテナンス体制と共に、日々の暮らしに最高の時を刻む一振りを提案致します。
 
 

「ヴィエンナクロックの歴史」 発祥と和製時計との繋がり 

直訳すると、Vienna Clock = ウィーン時計 という意味になるのですが、その発祥の由来は2説あります。1つは、楽器造りが盛んだったウィーンでオルゴール職人が時計を作ったのが始まりとされる説。もう1つは、18世紀初頭から時計作りが盛んなドイツの「シュヴァルツヴァルト地方=黒い森という意味」で作られた時計が楽器のような美しい音色を奏でるということで音楽の街ウィーンにちなんだという説があります。どちらにしても、19世紀中頃~20世紀初頭のドイツ圏(プロイセン王国、ザクセン王国)で盛んに作られていた振り子時計なのです。
 
日本ではちょうど明治新政府の頃で、当時庶民にとって時計はまだ高価な代物で普及しておらず、「丑三つ時=午前2時~2時30分」というようにざっくりとした感覚で、現代の真面目な印象の日本人からは想像できないほど時間にたいへんルーズな生活だったそうです。
新政府は銀座で輸入商を営んでいた服部金太郎に依頼し、ドイツからサンプルで取り寄せたヴィエンナクロックを、王政復古政策の一環だった「神仏分離」によって職を失っていた宮大工たちを集めて見よう見真似でケースを作らせて、ヴィエンナクロック中身の機械部分だけを輸入して組み込んだのが和製振り子時計の始まりとされています。服部金太郎は、後に「服部時計店」として会社化し、これが今日のSEIKOに発展していきます。
 
「ヴィエンナクロックの歴史」 続きはまた今度書きますね。

 

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A&Oは、ヴィエナクロックの取り扱いに関しまして以下のことに徹底しています。
 
ケース、機構(擬宝珠、クラウン、振り子、ムーブメントなど)がオリジナルであること
ワームホール(虫食い)がほぼ無い状態のもの(ほぼ修復できます)
ケースが後塗りされていないこと
琺瑯文字盤が割れていないこと(場合によっては完全修復します)
日本家屋に似合う美観を意識したデザイン
「ヴィエナクロック」の質が保たれていた1900年製までであること
クォリティーの高いシステム
御邸を飾るに相応しい最高の一振りとなれるヴィエナクロックであること

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