アントワーヌ・パテック


 

ジャン-アドアン・フィリップ


 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

Patek Philippe
パテック・フィリップ
創業 1839~
スイス・ジュネーヴ

 
パテック・フィリップ(Patek Philippe )は、世界的に有名な高級時計メーカーのひとつで、個人が所有できる腕時計としては世界最高峰ののマニュファクチュールとして知られている。 ヴァシュロン・コンスタンタンと共に世界二大高級時計メーカー、オーデマ・ピゲまたはランゲ・アンド・ゾーネを加えて世界三大高級時計メーカーと呼ばれることもあるが、それらの中でも頭一つ抜け出た存在として扱われている。
 
多くの時計愛好家はパテック・フィリップを世界で最も素晴らしい時計と考えており、裕福な人々や有名人も長年パテック・フィリップをこよなく愛している。 ヴィクトリア女王、ヴィルヘルム1世、ヨシフ・スターリン、フランツ・リスト、アルベルト・アインシュタイン、リヒャルト・ワーグナー、ピョートル・チャイコフスキー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、シャーロット・ブロンテ、レフ・トルストイ、アレクサンドル・プーシキン、ウォルト・ディズニー、エラ・フィッツジェラルドらも顧客である。
 
どんなに古い自社時計についても修理することができる「永久修理」「親から子へ」というキャッチコピーで宣伝しているため、パテック・フィリップの時計は一生物というブランドイメージを構築することに成功している。 しかし、保証期間(通常2年間)が過ぎた時計については、当然のことながら有料修理であり、またオリジナル部品を長期にわたって保持することを保証するものではない。 そのため、オリジナル部品の在庫がなくなった時点以降はオリジナル部品を使った修復ではなく、その時どきで製造可能な代替部品を使ってのメンテナンスとなる。 その場合、必要な代替部品を新たに製造するコストは個々のユーザーの負担となり、時計の購入価格を大きく超える修理代金を請求されるケースも多い。
 
過去には、取り扱い代理店に修理用パーツの供給を行っていたが、現在は供給をしておらず、一環して自社修理の対応を取っている。 純正パーツを要する修理になる場合はメーカー対応となるため相当のコストが掛かる。 そのため、中古市場で同社製のパーツは高価に取引されている。 また、パテック・フィリップはオークションで古い自社時計を高値で買い戻すことによって、「パテック・フィリップの時計の中古市場価値を保たせる」というビジネス戦略をとっている。 その結果、上記の「パテック・フィリップの時計は一生もの」というブランドイメージの宣伝にも役立っている。
 
創業期

  • 1835年頃 - パテックとチャペック、スイスのジュネーヴに移住する。その後、パリへ旅に出て得た経験から高級懐中時計の販売を始めた。
  • 1839年5月1日 - パテックとチャペックは共同で事業を開始することで同意し、同郷であるポーランド人時計製造業者のヴァヴジニェツ・ゴストコフスキ、ヴィンセンティ・ゴストコフスキ、ヴワディワフ・バンドゥルスキの財政援助を得て「Patek, Czapek & Cie」を創業、これより1850年ごろまでポーランドの歴史と文化に関連したデザインの懐中時計をオーダーメイドで製造した。
  • 1843年5月29日 - アントニ・パテック、ジュネーヴ市民となり、アントワーヌ・パテック(Antonine Patek)とフランス風に改名。
  • 1844年 - パテック、自社製品をパリの博覧会に出品するためパリに赴き、ジャン・アドリアン・フィリップと出会った。フィリップが発明した「リューズ巻き上げ、時刻合わせ」の機構に感銘を受け、意気投合した。
  • 1845年5月1日 - フィリップが入社、社名を「Patek & Cie」に変更。自社初の懐中ミニッツリピーターを製作。フランツ・リスト、シャーロット・ブロンテ、レフ・トルストイが懐中時計を購入。
  • 1845年5月17日 - 創業者チャペック、「Patek & Cie」から去る。その後チャペックはポーランド、フランスで時計を製造したが、1869年頃に会社を清算し、その後の消息は不明。

 
名声の確立

  • 1849年 - アメリカのティファニーに懐中時計供給を始めた。
  • 1851年1月11日 - 社名を「Patek & Cie」から「Patek & Philippe Cie」に変更。
  • 1851年 - ロンドン万国博覧会に出品、ヴィクトリア女王がリューズ巻上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントウォッチを購入。
  • 1854年 - 本社が現在地Quai General Guisanに移った。
  • 1867年6月26日 - ローマ教皇ピウス9世が18金懐中クォーターリピーター[5]を購入。裏蓋には教皇の紋章と両側に月桂樹が七宝で描かれている。
  • 1877年5月1日 - 創業者パテック死去。
  • 1877年 - ピョートル・チャイコフスキーがルイ15世スタイルの懐中クォーターリピーターを購入。
  • 1878年 - ティファニーがアメリカ製工作機械を備えた自社のジュネーブの時計ムーブメント製造工場をパテックフィリップに売却(この影響で、この年代近辺では全く同じムーブメントでありながら、Tiffany製の物とPatek製の物が市場に流通している)。
  • 1891年1月 - ジャン・フィリップが経営を息子のジョセフ・エミール・フィリップに譲る。
  • 1894年1月5日 - ジャン・フィリップ死去。

 
事業の拡大

  • 1895年頃 - マリ・キュリーがジュネーヴ芸術協会からペンダントウォッチを授与された。
  • 1907年 - ジョセフ・エミール・フィリップ死去、その息子アドリアン・フィリップが会社の経営を引き継いだ。
  • 1908年 - 現在の本社ビルが完成。
  • 1915年 - アルベルト・アインシュタインが懐中時計を購入。
  • 1927年4月6日 - パッカードの創業者の一人ジェームズ・ウォード・パッカード (James Ward Packard ) に「パッカードウォッチ」を12,815スイスフランで売却。

 
スターン兄弟による買収

  • 1929年 - 世界大恐慌の影響で経営が悪化し、文字盤製造業者のジャン・スターン (Jean Stern ) とシャルル・スターン (Charles Stern ) 兄弟が資本参加した。
  • 1932年6月14日 - スターン兄弟が会社を買収。 現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に変更。 アドリアン・フィリップが経営から退き、ジャン・フィスター (Jean Pfister ) が社長に就任。ドレスウォッチの傑作Ref.96を発売。高級腕時計の代名詞となるカラトラバを発売。
  • 1933年1月19日 - ヘンリー・グレーブス・ジュニア (Henry Graves Jr. ) からティファニーを通じて「史上一番複雑な時計」を受注し24機能の複雑時計「グレーブス・ウォッチ」を製作、60,000スイスフランで売却した。

 
会社の再建

  • 1948年 - エレクトロニクス部門設立。
  • 1949年5月15日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号261431。
  • 1951年12月31日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号280067。
  • 1956年 - 全電気式クォーツ時計を製作。
  • 1958年 - ジャン・フィスターが退職、シャルル・スターンの息子で1936年以来ニューヨーク支店長だったアンリ・スターンが社長に就任。
  • 1968年 - 「エリプス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3548。
  • 1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる「ノーチラス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3700/1。
  • 1978年 - アンリ・スターンの息子フィリップ・スターンが社長就任。
  • 1988年 - 「パッカード・ウォッチ」を買い戻した。

 
機械式時計の復興

  • 1989年 - 「キャリバー89」を発表。
  • 1993年 - 「ゴンドーロ」シリーズ発売。最初のモデルはRef.4824。
  • 1999年12月 - サザビーズ・オークションにて「グレーブス・ウォッチ」が1個の時計としては史上最高値の11,002,500ドルで落札された。
  • 2000年10月5日 - 西暦2000年を記念し21機能、パーツ数1118個の複雑時計「スターキャリバー2000」が発表された。ハーフハンター・ケース、ダブル・フェイス・ポケットウォッチ。ケース素材違いの4個が1セットで価格は7,500,000ドル。毎年1セットずつ5セットが製造された。
  • 2002年4月 - アンティコルム・オークションにてルイ・コティエが考案した方式の1949年製ワールドタイムが腕時計としては史上最高値、当時の日本円で約4億8000万円で落札された。
  • 2009年 - フィリップ・スターンの息子ティエリー・スターンが社長に就任。
  • 2010年5月11日 - クリスティーズがスイスのジュネーヴで開いた腕時計のオークションで、1943年にワンオフで製作されたカレンダー・クロノグラフRef.1527が、競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された。

 


 

 

代表作 「カラトラバ」 誕生の歴史

1932年はパテック フィリップにとっての転換点となる年である。
スターン兄弟は経営を新任の社長ジャン・フィスターに委ねている。 フィスターは機敏に効果的な政策を実施し、とりわけ製 造工程の完全な掌握を実現した。当時はアール・デコの芸術様式が続いた後、シンプルなデザインへの回帰が望まれはじめていた。 パテックフィリップはこの動きをとらえ、後に当社のスタイルを体現することになる最初のライン「カラトラバ」コレクションを発表。 逆説的であるが、カラトラバのラウンド・ケースが体現する洗練されたシンプルなデザインへの回帰は、当時の一般の人々にとってはきわめて斬新なことだった。
 
パテック フィリップの伝説的なコレクション、カラトラバの名は、1158年、同名の都市をムーア人の攻略から守ったスペインの宗教騎士団に由来している。 パテックフィリップでは19世紀末、カラトラバ騎士団の勇気を讃えるため、騎士団の紋章である、4つの百合の花を組み合わせたカラトラバ十字を社のエンブレムとして採用した。 今日すべてのムーブメントには、このエンブレムが誇り高く輝いている。 カラトラバは、バランスのとれたプロポーション、ピュアなラインにより、発表と同時に紳士用腕時計のクラシックとしての地位を確立した。

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