アントワーヌ・ルクルト


エリー・ルクルト


ジャック・ダヴィド・ルクルト


エドモンド・ジャガー


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Jaeger-Lecoultre
ジャガー・ルクルト
創業 1833~
スイス ル・サンティエ

ジャガー・ルクルト(フランス語の発音:フランス語発音: [jɛgɛʁ ləkultʁ]、[jay-ger luh-kool-tre])は、スイスのル・サンティエに拠点を置く19世紀前半創業の高級時計マニュファクチュールである。 創業以降、1,242種類以上のキャリバーを製造し、約400件の特許を取得、数100の発明を成しており、そのなかには世界最小キャリバーや世界で最も複雑な腕時計、そして半永久的に動くタイムピースも含まれる。
 
今日ではどのメーカーも当たり前となった、ゼンマイの巻上げと時計のセッティングに鍵を必要としないシステム「鍵なし(竜頭巻き)時計」を開発したのは、創業者アントワーヌ・ルクルトである。
 
8つの時計コレクションを展開しており、海洋保護やモータースポーツ、ポロなど、多様な分野で複数のパートナーシップを維持している。 2000年より、スイスのラグジュアリーグループであるリシュモンの傘下にある。
 

ルクルト家

スイスにおけるルクルト家の最初の記録は、16世紀にさかのぼる。 フランス人のユグノー(プロテスタントの一派)だったピエール・ルクルト(1530年頃〜1600年頃)が、宗教的な迫害を受けてフランスのリジー=シュール=ウルクからジュネーブへと逃れる。 1558年に「住民」として認められたものの、その翌年になってようやくジュウ渓谷の土地を得る。 時間とともに小さなコミュニティが形成されていき、1612年、ピエール・ルクルトの息子が、1833年からのジャガー・ルクルトの発展の土台となるその地に教会を建て、それがル・サンティエ村の始まりとなった。 今日、ジャガー・ルクルトのマニュファクチュールが建っているのはまさにこの場所である。
 
 

  • 1833年 - アントワーヌ・ルクルト(1803-1881) がスチールから時計のピニオンを切り出す機械「ブラング」を発明。 これに伴い、アントワーヌは、ル・サンティエに時計製造の小さなアトリエを開き、高品質のタイムピースを製造するためのスキルを磨いていく。
  • 1844年 - アントワーヌは世界で最も正確な測定器、ミリオノメーターを発明。 ミクロンの単位を測定したのはこれが史上初とされていて、他の工具では誤差を検知できないほど高精度な時計部品の製作が可能となった。 当時スイスにはこのようなシステムは存在しなかったため、これに関する特許は取得されなかったが、その独自の構図は50年以上社内で厳重に保管され使用されている。 ミリオノメーターは、1900年のパリ万国博覧会で発表された。
  • 1847年 - アントワーヌが鍵の要らない竜頭巻きの時計を発明。 これは、時計の巻上げとセッティングを鍵なしで行えるという、簡単で信頼度の高い最初のシステムとなった。時計の機能を切り替えるレバーの作動には、鍵の代わりに小さな押しボタンが使用されている。 他の時計メーカーでもこのシステムを迅速に導入できるよう、ジャガー・ルクルトはこのシステムの特許を取得していない。
  • 1866年 - 時計製造がまだ数100の小さな家内工房に依存していた頃、アントワーヌと息子のエリー(1842-1917)は、ジュウ渓谷に初の本格的なマニュファクチュール、LeCoultre & Cie を創設し、時計製作に関わる数多くの技術を一つ屋根の下に集結した。 同年、時計製造史上初めて、小型の複雑機構を搭載したキャリバーを量産製造する。 
  • 1870年 - このマニュファクチュールの下で、複雑機構を備えたキャリバーの生産工程の一部に初めて機械化が導入される。 この頃にはマニュファクチュールで働く従業員は500人を数え、LeCoultre & Cie は「ジュウ渓谷のグランド・メゾン」として知られるようになる。
  • 1900年 - までに350種類以上のキャリバーが製造され、うち128種類はクロノグラフ機能を、99種類はリピーター機構を搭載。
  • 1902年 - 以降30年間にわたり、LeCoultre & Cie は、ジュネーブのパテック・フィリップ向けムーブメントの大半を製造していた。
  • 1891年 - クロノグラフとミニッツリピーターを組み合わせたダブル・コンプリケーション・キャリバーを発表。
  • 1890年代中頃には、超複雑機構や、少なくとも伝統的な3大複雑機構である永久カレンダー、クロノグラフ、ミニッツリピーターを備えた腕時計の製造を開始。
  • 1903年 - パリに拠点を置きフランス海軍向けの時計を製造していたエドモンド・ジャガーが、スイスの複数の時計職人に対し、自らが発明した超薄型キャリバーを開発・製造してほしいと注文をつける。 アントワーヌ・ルクルトの孫にあたり、LeCoultre & Cie の製造責任者だったジャック・ダヴィド・ルクルトは、この課題に挑み、超薄型懐中時計のコレクションを製作。
  • 1907年 - ルクルト製キャリバー145を搭載した世界で最も薄い懐中時計を製作する。 同年、ジャガーは顧客であったフランスの宝石商カルティエと、今後15年間、すべてのジャガーのムーブメントをカルティエ専用とする契約を締結し、そのムーブメントはルクルトで製造された。
  • 1928年 - スイスのエンジニア、ジャン・レオン・ルターがヌーシャテルで発明しジャガールクルトが開発した「アトモス」は、人の介入を必要とせずに半永久的に動き続ける置時計で、僅か1℃の温度差で2日分の動力を蓄えることを可能にするという、ほとんどエネルギーを必要としないシステムである。 1950年以降、スイス連邦の公式の贈答品となっている。 1928年に特許を取得した最初のモデルは、現在アトモス1として知られているモデルで、1930年に放射線医学社 (CGR) により販売された。
  • 1931年 - ラテン語で「回転する」という意味を持つレベルソは、ポロ競技の際の衝撃に耐えることができる時計として1931年に製作された。ケースが反転し、時計のガラスを保護できる仕組みとなっている。アールデコ調のクラシカルなデザインで、同社のペットネームモデルの中では、代表機種に成長し今日も製造されている。
  • 1937年 - ジャガー・ルクルト ブランドが正式に誕生。 ただし、1932年から1985年頃まで、北米ではルクルトの名で腕時計が販売され、その後、世界的にジャガー・ルクルトの名に統一された。 会社の記録によると、アメリカのルクルト製腕時計に使用された最後のムーブメントは、1976年にル・サンティエから出荷されている。
  • 1958年 - 国際地球観測年を称え、耐磁、耐衝撃、防水に優れた腕時計、ジオフィジック・クロノメーターを発表。 これは、南極大陸の科学的な基礎概念を探る研究のための腕時計として、ジャガー・ルクルトに古くから勤めるジュール=セザール:サヴァリが企画したものである。 ジャガー・ルクルト製キャリバー478BWSを搭載し、17個の石、ブレゲヒゲゼンマイ、テンプ受け上のレギュレーターゼンマイ、緩衝調整装置、グリュシデュール®製テンプを備えている。 ジオフィジックは、発表された年に、北極経由で初めて太平洋と大西洋を渡ったアメリカの原子力潜水艦ノーチラス号のキャプテンウィリアム・ロバート・アンダーソンに贈られた。