Junghans
ユンハンス社 1861年~現在

 

レンツキルヒ社は当時、信頼性が低かったブラックフォレスト時計の精度を飛躍させた時計メーカーで、創設者Eduard Hauser (エドワード・ハウザー)と、パートナーのイグナス・ショパーレ、ハウザーの息子達の努力によって最高峰の時計を製造していました。

エドワード・ハウザーは元々腕の良いオルゴール職人で、フランス、スイス、イギリスを渡り歩き機械式時計の製作技術を学びとりました。 1849年、ブラックフォレスト地方(バーデン=ヴュルテンベルク州シュヴァルツヴァルト)の小さな町レンツキルヒ(Lenzkirch)でイグナス・ショパーレと共に小さな工房を設立。 現在は、時計が特産品として知られるブラックフォレストでレンツキルヒ社は最も古い歴史を持つメーカーの一つです。
レンツキルヒは設立初期、ある大きな問題を抱えていました。 時計の心臓部となるムーブメントを作るだけの工房で、19世紀中期、それまで作られていた木製ケースの時計というのは、心臓部となる機械を作るメーカーが、木製ケースを作るメーカーから在庫にあるものだけを買い取って組み合わせるというようなパートナーシップが形成されない製造方法でした。 当然、木製ケースの意匠が機械メーカの望むものにならず、ちぐはぐな時計しか作れない時代でした。
1850年中期、資金難で破綻寸前の危機に晒されることもありましたが、「時計のあらゆる部品は、時計メーカーが全て作らなければならない。組み立てから正確に時を刻むことができる調整までを一貫できる組織作りを。」 という創業者ハウザーの信念のもと、会社は徐々に大きくなっていきました。
1860年、ヴィリンゲンの世界産業展で金賞、その翌年1861年のカールスルーハ世界産業展で金賞を受賞しました。 その後、レンツキルヒ社は世界最高峰の時計を作り出す工房として君臨しました。
1932年、世界恐慌が原因でユンハンス社に吸収され全ての建物と著作の全権利を売り渡しました。

ユンハンスの特徴

グスタフベッカーやレンツキルヒなどのアーツ&クラフト(特注)のメーカー品と比べると中堅的な存在。 モデル化した時計を大量に生産していく合理化された経営方針のユンハンス社ですが、コストパフォーマンス、精度、デザイン、安定性 全てにおいて標準値が高く ”優等生” という言葉が似合います。 ”和製ユンハンス”という明治時代から機械が輸入されていた歴史に馴染みがあるからでしょうか、現在も日本のコレクターに根強い人気があります。 和製ユンハンスの画一的な作りに対して、純正ユンハンスのクオリティーはやはり歴然たる差を感じますので、和時計コレクターさんに一度は純正をお薦めしたいです。 ごく希にオルゴール仕込みの時計も存在しており、遊び心があるメーカーだったみたいです。








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