Friedrich Mauthe Uhrenfabrik

フリードリッヒ・マウテ社 1870年代~1976年

創業者であるフリードリッヒ・マウテ(Freidrich Mauthe. 1822-1884)の経歴は面白く、当初は本屋で、後に妻のマリー(Marie Kienzke)と雑貨店をしています。 1850年代に時計のパーツや道具を扱い始め、50年代終わり頃には通称シュバルツバルト時計の販売を始めました。 この頃からマウテは兄弟と共に出資金を募り会社設立を画策し始めたようです。
1870年には正式に会社(Friedrich Mauthe Uhrenfabrik)になり、1876年頃にはレンツキルヒの分銅引ビエンナなどを参考に、完成した時計の生産に取り掛かりました。 同年、フリードリッヒは引退し、会社は2人の息子クリスティアン(Christian, 1845-1909)とヤコブ(Jakob, 1847-1915)に引き継がれました。 1886年頃からはゼンマイ式の時計を製造し始めています。 マウテのマークは様々ありますが、掛時計によく見られるトレードマークは1880年代から使用されています。(下記参照)
余談になりますが、フリードリッヒの妻マリーはキンツレの経営者であるヤコブ・キンツレのおばにあたり、70年代から19世紀終わりごろにこの会社で働いていたという記録があるそうです。
1900年代になると、マウテ社の時計はイギリスにかなり輸出されており、第一次世界大戦頃や戦後の1920年代前半頃、対ロンドン時計輸出シェアは60%にも達していました。
それまでの順風満帆な経営から一転、1923年、ドイツにインフレが起こり、マウテ社もかなりの競争に巻き込まれたようです。 その困難を生き残ったマウテ社は1930年には2000人の労働者を雇用し、週に45,000台の柱時計・置時計・目覚まし時計・腕時計などを生産するまでになりました。 しかしながら栄枯盛衰は彼らにとっても必定で、1976年に長い会社の歴史に幕を下ろしています。
 

フリードリヒ・マウテの特徴

ドイツの力強さを象徴するよに、冠に、馬・鷲・ヴィーナス をあしらった時計が多く存在します。 どっしりとしたドイツゴシックとユーゲントシュティル(ドイツ語のアールヌーボーの意味)の2様式を融合させたケースデザインで、お部屋を飾るアクセントとしては申し分ないです。 シュバルツバルトの木材商と専買契約していたということで、どっしり良質な木材を使っています。 マウテ社の時計はとてもタフで動力も安定している物が多く、 A&Oから納品させて頂いた時計で、後にトラブルを起こした記憶が殆ど無い実用性が高いメーカーです。 私感では、ユンハンス社と同等クラスかそれ以上ではないかと思います。