ミリアム・ハスケル(Miriam Haskell アメリカ合衆国 生没 1899~1981年)は、1930年頃から活躍したコスチューム・ジュエリーのデザイナーです。
1924年に彼女はニューヨークシティ 57番街のホテル内でジュエリーショップをオープンさました。 ココシャネルに刺激をうけた彼女は、当初シャネルなどのフランス製のコスチュームジュエリーを売っていたそうです。そして、たちまちのうちに成功し5番街へと進出しました。この頃出会った若手天才フランク・ヘスは彼女のアイディアやスケッチを完全な形態として世に送り出しました。モード雑誌『VOGUE(ボーグ)』の表紙のトップモデル達は競ってハスケルの作品で身を飾りました。不滅の女王グレタ・ガルボを始め、多くのトップスターもハスケルの愛好者でした。ミリアムの個性として特に興味深い点は、個人的評判をあまり好まなかったことにあります。 おそらくこの評判自体が自分に拘束をもたらすものである故でしょう。それゆえ、1924年からジュエリービジネスをはじめたミリアムは自分のデザインのどれにも初めサインを入れなかったのです。1930年代後期以降になってから彼女の作品にはオーバルの中にミリアム・ハスケルとレリーフされた商標がつけられる様になりました。
1930年代~40年代の不況の時期から第2次大戦を通してさえその間20年というものをミリアム・ハスケルは「ファッション界のファーストレディ」としての名声を広めていったのです。
ロシアとプロイセンの両親の血を引く天性の美貌と類い稀な芸術的才能や上品な物腰、彼女は恋多き女性としても有名で、バーナード・ギンブル(かの有名なデパート王)やネルソン・ロックフェラー、ジョン・D・ハーツ(レンタカー一族)といった有名な紳士達がその名を連ねています。
ハスケルの作品は皆昔ながらのやり方で手仕上げによって製作されています。
それぞれ細かいところに気を配り、手作業のみで組上げられ各ビーズはサイズにおいて同寸法になる様注意深く配置され、また、19世紀のグラニュレーション技術に勝るとも劣らない優しい色使いの金箔を施してあります。
シードパールビーズをワイヤーで丹念に密集させて作りあげたものなどハスケルならではの作品といえます。
彼女は1981年7月4日82歳で世を去りましたが、その素晴らしい作品の中に生き続け、身に着ける女性に自身と満足を与え続けるに違いありません。

A&Oでは、1920~70年代までのミリアム・ハスケルを中心とするコスチューム・ジュエリーを取り扱いしています。


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