KIENZLE

キンツレー社 1822年代~現在

キンツレーの起源は、1822年ドイツのシュベニンゲンでヨハネス・シュレンカー(Johannes Schlenker, 1782-1864)が時計工場を設立したことが始まりとされています。 当初はシュバルツバルド特産の漆黒をまとったブラックフォレスト時計(漆塗りの時計)を作っていたようです。

ヨハネスの3人の息子が工房を引き継ぐ時には、20人の職人を雇い、年間2000台以上を生産する時計工場にまで成長しました。 1883年、ジェイコブ・キンツレー(Jakob Kienzle 1859~1935年)が24歳の時、 シュレンカー家の娘と結婚し工場の一部を与えられ、ヨハネスの孫にあたるカール・シュレンカー(Karl Schlenker)とS&K社(Schlenker & KIENZLE シュレンカー&キンツレー)を共同設立、その経営の指揮を執っています。
この頃からアメリカ方式での産業化を開始し、レギュレイタークロック(規格化された中量製造型の機械式時計)の製造を開始。 歯車に両翼の付いたブランドマークを使用し始めたのもこの頃からです。 直後、リリースした14日式のゼンマイ式壁掛け柱時計Flügelradが好評となり、その頃には60人を超す従業員が工場で働くまでになりました。
1908年までには、ドイツだけでなくフランス・イギリス・イタリアにも工場を持ち、時計の75%は輸出されています。 1919年、社名をKIENZLEに変更。 1929年にThomas Hallerを買収し、その後も堅調に世界企業として規模を拡大。 ジェイコブ・キンツレーが没する1935年までに、数百万台もの時計を生産したと言われるほど、キンツレー社は時計の大企業に成長した。
1997年に香港の企業に買収されたものの、その後再びドイツの企業として再興された今でも長い歴史を生き残る優良時計会社です。
 

キンツレーの特徴

19世紀末のユーゲントシュテイル(ドイツ19世紀末で流行した美術様式、アールヌーヴォーとほぼ同意)を想わせる柔らかい曲線が特徴的なケースデザインが数多く生産されました。 かと言って、ケースの各部位に真鍮細工を施した荘厳で男性的なデザインも少なくありません。
19世紀までのシステムは、レギュレイタークロックの他、フリースゥインガー式(振り子がケースから剥き出しになった時計)が主流です。 良質なオールナット木材を用いた物が多く現存していますが、その殆どはフリースゥインガー式です。 1900年以降は置時計、1920年以降は腕時計が中心に量産されるようになりました。
時計はとてもタフで動力も安定している物が多く、納品後にトラブルを起こしたケースが殆ど無い実用性が高いお薦めの中堅メーカーです。