初めて地震の怖さを知ったのは留学生のときの1994年、ノースリッジ地震で被災した20歳の時🫨🌋
震源地からわずか30マイル離れていないアパートメントは半壊。引き込みの水道管が破れて部屋が水浸し洪水の状態。真冬の1月に電気水道ガス全てのインフラが止まった状態で1カ月間廃屋で被災生活を強いられた❄🥶
当時、日本で最もアンティークショップが多かった神戸市。1995年の阪神淡路大震災で多くの取り引き先が廃業してしまった。この頃の僕はまだ時計修理の見習いの身分で、オーナーが
「我々もノースリッジ地震で被災したが、こういう(希少性の高い在庫を抱える)事業を日本でスタートアップさせるのはもっとリスキーなことだ」
と悲しげに語っていたのが今でも忘れられない。
日本に帰国してから何処でお店を構えるのか悩んだとき、ふと思い返すと、地元山口県(特に西部)が驚くほど天災が少ないことに気づかされた。2008年、下関市にA&Oを建てて現在に至っています。
2011年の東日本大震災でも、何人ものクライアントが被災されて未だに連絡が途絶えている方もいる。
都会のクライアントからは、何故山口県(みたいな田舎)で経営してるの?って質問されることは少なくないけど、魅力的な商品とサービスを継続してればインターネットで何とかカバーしてこられたし、高額なお取り引きのときは有り難いことに全国からのご来店も絶えません。
今まであまり他言しなかったけど、被災生活をしていた時の寒さと空腹で惨めで死にたくなったときの苦しい過去が夢になって魘されて夜中目が覚める時がいまだにある。
だから、商圏立地はしょぼくとも被災しないことに勝るメリットは無いって今をもっても断言します。
そして、僕の運を引き寄せる勝負強さの源は、この決意に詰まってるという自覚もあります🦌